今日は8月15日2022年08月15日

94式5号無線機送信部

戦争を考える季節です。6年前に95歳で亡くなった父は軍需産業に技術者として勤務していたので、甲種合格でしたが招集されませんでした。会社も大切な技術者を引っ張られないように雇用ではなく「徴用」扱いとしていたのですが、ついに昭和19年に召集され、神奈川県川崎市の通信隊で無線機の整備を担当していたそうです。

無線を傍受していると連隊通信のすぐそばに米軍の謀略放送が出ていたので、こっそりと聞いていたそうです。おかげで戦争が終わることは数日前に知っていたと話してました。もちろん、当時は誰にも言わなかったということです。

母はその時、父がいた場所から山一つ越えた場所で新任の教師をしていました。すでに艦載機が飛んでくるようになっていたので機銃掃射の危険はあったのですが、東京大空襲の日は夜空が真っ赤になるのを見ていたそうです。川崎といっても農村部なので食べ物もそこそこあり、どちらかといえばのんびりした戦時下の生活だったようです。戦時中に出会いがあったわけではなく、戦後の見合い結婚です。

当たり前ですが両親とも無事に生き残り、私が生まれました。いってみれば私はラジオのおかげで生きています。父には戦友がいません。全員、南方戦線と沖縄で戦死したそうです。父が通信隊に志願して内地に残ったので生き残りました。通信兵で外地に送られて死んだ人もいるので運です。こう考えると年齢に関係なく、いま生きている人全員が第2次大戦の生き残りなんですね。