第1展示室 続き2020年05月01日

エリミネータコーナー
明日からいつもと違う連休です。引き続き新館のツアーを続けます。
昭和初期の交流式ラジオのコーナーです。旧館とは1台だけ展示品を入れ替えました。右下は長野放送局が始まった時の松本で使われたラジオですが、他の3台はメーカ品です。この3台には意味があります。いずれも東京放送局の受信機懸賞募集(コンテスト)で1等を取った機種で揃えてみました。右上が最初の昭和3年度の1等を取ったサンダーのFS82型、左上は昭和5年度1等のコンドル受信機、左下は昭和6年度に1等を取ったナショナルの1号機です。
この懸賞募集について詳しくは下記の当館のサイトをご覧ください。
http://www.japanradiomuseum.jp/tousen.html

この時代はスピーカがラッパからスピーカーボックスへと代わった時期にあたります。旧式で音も悪いラッパは安物として普及品が残っていました。このあたりも併せてごらんいただければと思います。

はじめてのオンラインミーティング2020年05月02日

オンライン飲み会


初夏の陽気の少し暑い横浜です。先週までヒータを使っていたのに、今日は扇風機を出しました。体が付いていかないですね。

私が加入しているAWC(アンティック・ワイヤレス・クラブ)は毎月1回、東京で例会を開催していますが、先月から中止しました。
そこで代わりに今流行のオンラインミーティングをやってみることに。思ったより簡単で楽しいミーティングになりました。普段は参加できない離れた地域にお住まいの方も簡単に参加できるのが良いですね。資料を見せるのも会合の席でコピーを配ったり小さなパソコンの画面で見せた入りするよりも画面共有で見せるほうが見やすいです。
参加者全員好評で、今月もこの方法でやることになりました。

ついでに二次会でオンライン飲み会もやってみました。
これも気楽で楽しかったです。オンライン飲み会を紹介するサイトに注意してあった通り、普段より飲みすぎました。でも帰り道を気にしなくても良いのがメリットですね。
では、おやすみなさい。

今日は蓄音器の修理2020年05月03日

コロムビアNG-101
今日も夏のような少し暑い、良い天気の横浜です。

今日はラジオではなく、蓄音器を直しました。
ニッチク(旧コロムビア)のNG-101型という、戦時中のポータブル蓄音器です。敵性語排斥のために日本コロムビアが日蓄工業に変わり、NITTIKUブランドになったのは昭和17(1942)年です。この頃にはすでに一般向けの蓄音器の生産は禁止されていました。軍の慰問用などにごく少数作られたものでしょう。

本来ならクロス張りになっているケースが板にニス塗りになり、メッキしてあるはずのトーンアームも黒い塗装になっています。金具も最小限になり、貧弱な構造になっています。戦時中の歴史的な品物として入手したのでもちろん音質など期待したわけではありませんが、ゼンマイが生きているのでレコードをかけてみました。

音は出ますがひどいビリ付きがあって聴けたものではありません。サウンドボックスのオーバーホールを試みます。コロムビアのサウンドボックスは簡単に分解できます。4本ずつのネジを外してカバーを外してみると、振動板を押さえているゴムのリングが硬化して機能していません。振動板はどうやら本来のジュラルミンではなく、アルミのようです。これでは音は期待できないでしょう。ゴムを交換するのですが、半分溶けて張り付いてしまって簡単に外れません。振動板を傷めないように細いドライバで少しずつはがして取り除きます。新しいゴムを入れて組み直して、針のトンボも調整します。車のキャブのOHとちょっと似ています。
簡単に書いてますが、実際には4回ほど分解、調整を繰返しました。

まだ少し歪みますが普通に聴けるようになりました。音は悪いですが、戦時中にここまでのものを作ったことは評価して良いのではと思います。もっと代用品を使った蓄音器も作られたようですが、統制で数も少なく、あまりに質が悪すぎて残っていないようです。

第1展示室ツアー 続き2020年05月04日

第1展示室

新館の案内を続けます。
角を曲がると昭和10年頃から終戦直後までのコーナーです。
旧館と並べ方は似ていますが、前より広くなったので一つコーナーを増やせましたので、戦時中のラジオの展示を前半と後半に分けて新しい展示を増やしました。
写真の中央の部分です。目立たないですが歴史的に貴重なものを新たに展示しました。

旧館ではテーブルの上に並べていた資料は手前の展示ケースに収めてまとめました。この展示ケースは旧館の2階で使っていたものですが、計ったようにぴったり収まりました。

こどもの日は資料整理2020年05月05日

資料整理

いつもとちょっと違う子供の日です。
朝から良い天気で暑くなりましたが、夕方から天気予報通り黒い雲が出て雨が降り出しました。

休みの間、寄贈いただいた資料を整理しています。昨年、あるスピーカーメーカの創業者の御子息から会社関係の膨大な書類等を寄贈いただきました。
なかなか整理が進まなかったのですが、まとまった時間ができたので集中して取り組んでいます。この会社は大正13年に創業して、昭和30年に経営破たんしました。全盛期の昭和初期の資料は、空襲にあったためかほとんどなく、戦時中から経営破たんまでの昭和20年代の資料が中心です。

書類や郵便物を一つ一つ確認してクリアホルダに入れて分類し、日付順に整理しています。書類からは戦時中から戦後の厳しい時代の中で懸命に生き残りを図ろうとする企業の息吹が伝わっています。

私は技術畑の人間なので、手形の束など見ても意味が分かりません。ネットで会計や経営の勉強をしながら整理しています。不渡り手形の意味が初めて分かりました。これが何10枚とあったのですからいかに大変な状態だったかわかります。

まるで古文書2020年05月05日

古文書?

夜になって涼しくなってきました。
明朝は少し冷えるようです。

今、整理している文書は昭和10―20年代のものです。
活字になったものならこの時代の文書を読むのは難しくないのですが、この頃、手紙を書いている人は当然ですが明治生まれです。巻紙に毛筆という手紙もあるので読みこなすだけで大変です。崩してあるだけならともかく、略字で崩してあるとまるで古文書です。ほとんど読めません。まあ、このような手紙は形式的な礼状などが多いのであまり意味はないものが大半ですが、そこを判断するだけで苦労します。手形の宛名や契約書なども崩し字を使っているので困ります。

ほんの70年ほど前までは郵便屋さんもこのような文字をちゃんと読めたわけですが、この文化はどこで失われたのでしょうか。戦前の本は読み慣れているので、まさか昭和の文書でこんなに苦労するとは思いませんでした。古文書を読むカルチャー教室がありますが、参加したくなりました。

連休の終わり2020年05月06日

公園の水仙
連休も終わり、緊急事態宣言も終わる、ことになってましたが予想通り継続になりました。 今日も良い天気で少し暑い横浜です。公園では水仙がきれいに咲いています。夕方から曇り出して激しい雷雨になりました。

このところテレビを見ていると「我慢」とか「がんばる」という言葉が目立ちますが、我慢すると思うとストレスがたまりますよね。変わらざるを得ませんが、変わることを楽しむような気持ちが大切かなと思います。

バッテリー上がり2020年05月07日

バッテリー充電中


4月に入る頃から全く車を動かしていませんでした。
ちょっと気になって見てみたらバッテリーが上がっていました。
プリウスのバッテリー上がりは面倒です。対処は普通の充電器を使うだけですが、つなぐ場所がわかりにくいので分厚い説明書とにらめっこしました。しばらく充電してエンジンがかかったのでひと安心です。

遠出にしか車を使わない人は注意が必要ですね。

第1展示室 続き2020年05月08日

第1展示室

良い天気の暖かい1日でした。連休が終わって少し人が増えたような気がします。

新館の案内を続けます。新館は以前より通路を広く取ってゆったり見学できるようにしました。
右側の列が終戦直後まで、正面が昭和20年代です。5球スーパー中心の時代ですが、プラスチックや金属のキャビネットが現れて、カラフルになっていることがわかります。

ここまでが第1展示室の主な展示です。全体の雰囲気は旧館と似ていると思います。テレビ放送が始まった高度成長期以降が第2展示室ですが、雰囲気が大きく変わります。では次回から第2展示室の紹介に移ります。

ひさしぶりの横浜駅2020年05月09日

連休が終わって本当に久しぶりの出勤でした。
とりあえず仕事があることに感謝です。
気温が上がってマスクがつらい季節になってきました。
夕方、帰りにどうしても外せない用事で横浜駅に行きました。

土曜日ということもあるのでしょうが人は少ないです。
地下のレストラン街が閉鎖されていて、いつもと違う通路を通ったら迷ってしまいました。横浜の地下街はむずかしいです。
商業ビルも丸ごと閉まっているところが多く、喫茶店を探すのにも困ります。
帰り、夕方の時間帯に電車で座れることはまずありませんが、今日はがらがらです。

帰宅したら連休中に頼んでおいた映画のDVDが届いていました。郵便も少し時間がかかるようです。軽い夕食を取りながらゆっくり見ました。
3月までは忙しくて家で映画を見ることもほとんどありませんでしたが最近は結構楽しんでいます。
出来ないこともありますが、少しゆっくり過ごせる時間を楽しみたいです。